私が出演したNHKハートネットTV・ブレイクスルーの内容が全文テキストになりました
私が出演したNHKハートネットTV・ブレイクスルーの全文をテキストにしていただきました。
是非ご覧ください。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/program/?id=38582
以下、テキストになります。
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講演会で熱弁をふるう、この人。
成澤
成澤:僕は “世界一明るい視覚障害者” というキャッチコピーを持っています。
成澤(なりさわ)俊輔さん、31歳。
障害者雇用の変革を目指す NPO 法人の代表です。
話を聞いているのは、障害のある子どもを持つ親たち。将来に、大きな不安を感じているといいます。
成澤:うちの子働けるかな? 私たち先死んじゃうから。
誰かこう、そばにいてもらえる人がいたらな。
(頷く保護者)
成澤:だから今日、皆さんに僕、「大丈夫です」って言いに来ました。僕らがついてますから、僕らが。
必ず大丈夫です。
(保護者インタビュー)
保護者
母親:私はやっぱり、大丈夫だよって気持ち、言葉が一番印象的でした。将来大丈夫だよってなかなか言ってもらえないので。
父親:そうですね。
成澤さんは、元経営コンサルタント。
その経験と人脈をフル活用し、100社あまりに障害者の働く場を作ってきました。
成澤:僕とおつきあいする中で、絶対、会社の業績はよくなりますよ、間違いなく。そんなお手伝いができたらと思いますけど。
成澤さん自身も、視力が次第に失われていく難病をわずらっています。
7年前、文字が読めなくなり、今はかすかに光を感じるだけ。
成澤:(花火を見ながら)全然見えないですもん、全然。
光を失うっていうのが、自分の人生をどう変えていくかっていうのは、ある意味で楽しみになってますよ。目が見えなくなっていくからこそ、チャレンジし続けたいんですよね。
ひとりひとりの人生に寄り添い、一緒に、未来に向かって歩いて行きたい。
肩に手を置く
成澤:何か僕らにしてほしいこと、ありますか?
成澤俊輔さんのブレイクスルーです。
僕は “世界一明るい視覚障害者” ― NPO 法人代表・成澤俊輔―
(VTR)
成澤さんの病気は、網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)。
幼い頃から病気が進行し始め、20歳ごろには視力をほとんど失いました。
その一方で、記憶力と情報処理能力が、次第に増してきたといいます。
(イヤホンをつけて歩く成澤)
2倍速音声:…998件目、6月 30日に受信したメールです。
移動の時は、次々と届くメールを2倍速で確認します。
2倍速音声:…996件目、7月5日に受信したメールです。
成澤:(一日に)約 1000通くらいですかね。15秒から 30秒に一通は来るので。
指の感覚と読み上げ機能を頼りに、すぐに返信をします。
一度行った場所も、全て記憶できるといいます。
この日訪ねたのは、医療系の会社。
成澤さんは、事業展開の相談を受けてきました。
20代前半から、企業経営のコンサルタントとして活躍していた成澤さん。
その経験が買われ、5年前、NPO の事務局長になりました。
(担当者と挨拶をする成澤さん)
社員:すみません、ありがとうございました。とんでもないです。お世話になります
成澤さんは、コンサルティングのノウハウを生かし、障害者が働ける仕事を新たに開拓してきました。
担当者
社員:いろいろと、ちょっと困った時に障害者雇用ということを使いながら、こう…。
成澤:立て付けに。ははは(笑)
社員:立て付けに、コンサル料払わずにコンサルしてもらうみたいな(笑)
実習生
この会社では、事務業務の委託を受けていましたが、人材が限られ、なかなか業務を拡大できずにいました。
仕事の内容は、パソコンによるデータ入力。
障害のある人でも、十分可能だと成澤さんは考えました。
NPO 法人の実習生が担当すると、安定的に業務が進み、事業が拡大しました。
社員:お互いにとってプラスの、ウィンウィンの取り組みなので、ちょっと一緒にやっていきましょうというのがスタートでした。
成澤:社員が普段やっている業務が改善されて、もっと自分がやれることやんなきゃなとか。会社にロイヤリティとか、安心感も高まってくると思うし。
それは経営者側もそうですし、現場もそうですし。人事サイドにとっても、それぞれメリットあるかなと思います。
成澤さんは、持ち前のコンサル能力を活かし、障害者を雇用していなかった企業に、新たな仕事を作ってきました。
FDA
NPO 法人 FDA( Future Dream Achievement:未来の夢を達成する)。
みんなの夢を達成させたいという思いが込められた名前です。
働くことが難しい人に、パソコン操作やビジネス・スキルを教えています。
(面談風景1)
面談
男性:挨拶ができてなかった。
成澤:挨拶ができてない?
男性:はい。
成澤:って自分が思う?
男性:自分が。
成澤:誰かに言われた?
成澤さんが力を入れているのが、面談です。
障害の特性だけでなく、性格や家庭環境を知ることで、支援の仕方を探っています。
(面談風景2)
成澤:実習よかったね、行けて。
男性:はい、行けました(笑)
成澤:えらそー。実習4回行っただけでえらそう(笑)
面談の最後に、必ずたずねる質問があります。
成澤:何か、僕らにできることある? 相談ごと、やってほしいこと。
徹底的に寄り添い、不安を取り除こうとしているのです。
半年前からトレーニングを始め、就労を目指している、視覚に障害のある女性がいます。
吉田さん
吉田夏恵(なつえ)さん。成澤さんと同じ病気で、視力はほとんどありません。
吉田さんには、かつて仕事で挫折した経験がありました。
小学校から高校まで、盲学校で過ごした吉田さん。
卒業後、マッサージ師として働き始めましたが、過労で体調を崩しました。
仕事を辞めてから、ひきこもりがちになってしまったといいます。
(吉田さんインタビュー)
吉田:自分でやんなきゃって思ってる部分が、多かったんだと思いますね。なんかこう、人に迷惑かけちゃいけないっていうか。遠慮したり、そういう気持ちがあって。自分でやんなきゃっていう気持ちが大きかったんだなと。
成澤さんは、そろそろ企業での実習を始められると考えていました。
(成澤さんインタビュー)
成澤:100% 働けますね。
ディレクター:なぜそう思いますか?
成澤:それはたぶん、自分が一緒に働きたいと思うからじゃないですかね。
ディレクター:吉田さんと?
成澤:そうですね、うん。
吉田と女性
企業との面接にそなえて、吉田さんの特訓が始まりました。
吉田:失礼します。お疲れさまです。
成澤:そしたら、吉田さんから簡単に自己紹介してもらっていいですか?
吉田:はい。
初めまして吉田夏恵と申します。よろしくお願いいたします。
成澤:はい、よろしくお願いします。
吉田:えーと、以前はあの、マッサージの仕事を3年間やっておりまして。ちょっと両手の腱鞘炎で、お医者様からストップがかかり、えーと、1年間、ひきこもっていたんですけども…。
吉田さんの自己紹介は、ただ、自分の経歴を説明するだけでした。
吉田:手先を使った作業も好きです。あの、そういったことを活かしていけたらなと思います。よろしくお願いいたします。
成澤:長い。なげー。
吉田:あ、すいません。
成澤:その、もうなんだろうな、よく考えて喋って欲しいんだよね。いつものように、とりあえず自己紹介してもしょうがないからさ。向こうに何を伝えるか、考えて喋った方がいいぜ。
成澤、吉田、女性
吉田:はい。
成澤:自己 PR だったり、何かあれば聞かせていただきたいなと思うんですけど。
吉田:えー、はい、えーと…。
あ、ちょっとパスで。
成澤:え、だめだよ。そんなルールいつ作ったんだよ、ダメ。
はい、吉田、言え。
吉田:はい、あ、ちょっと、えーと。
女性:同じでいい、同じでいい。
吉田:あー何、どうしよう、えーと、うーと。
成澤:寝てた? 大丈夫?
吉田:寝てないです。
成澤:寝てない? 大丈夫?
女性:寝てないですよ。
(泣き始める吉田さん)
泣く吉田
成澤:テンション下がってきた?
女性:そうだよね、なんかね。
成澤:大丈夫だよ。吉田ちゃん、何が心配?
女性:大丈夫、大丈夫大丈夫。大丈夫、言えるよ言える。
成澤:思ったより、うまくいかなかった?
(成澤さん、吉田さんの肩に手を置く)
成澤:何か僕らにしてほしいこと、ありますか?
(スタジオ)
成澤
風間:よろしくお願いします。
成澤:よろしくお願いします。
AI:よろしくお願いします。
風間:成澤さん、僕と同じ “シュンスケ” なんですけど。
成澤:そうですよね。
AI:ね、同じ名前同士。
風間:なかなか VTR の最後は、厳しさを見せた。
AI:厳しくても、すごい愛があるのが見えた。すごい、愛がね、ある感じがしますよね。
成澤:きっと伝わるっていう確信があるから厳しく言うのかなって。
どうしても障害とか病気があると、その一歩踏み込まれないんですよね。これ言ってビビられたらどしようかなあって。
AI:“何かやってほしいことある?” って言ってたじゃないですか?
あれを言われるだけで、たぶん、みんなすごく助かったじゃないけど。
成澤:それは大事にしてますね。
AI:だって私も言われたい(笑) 意外と人は言わないじゃないですか。
風間:そうですね。
AI:あんまり言われないです。友達も恥ずかしくて言わないし。
成澤:一番は自分の生かし方を知ってほしいなと思って。
障害持ってると、なかなか組織やチームの中で生きることがないので、自分ってどうやったらほめられたり、どうやったら人に喜んでもらえるって、なかなか知る機会が少ないかなと。
なので、僕らも部活みたいな組織というか、居場所を目指していて。いろんな居場所とか出番があって、“あ、こうやると喜んでもらえるんだな” って。
そういう自分の生かし方を知るために、こういういいとこがあるんだよって、まず伝えてあげたいなっていう、その最初の一人でありたいなって、いつも思ってますね。
風間:そのなかで、うまくいったケースと、うまくいかなかったケースがあると思うんですけども。
成澤:例えば私も仕事のなかで、9割ぐらい理不尽なことを言われるんですよ。
それで、“ん?” と思うことがあるんですけど、いま僕が感じてる理不尽さより、この人が人生で感じた理不尽さのほうが、よっぽどおっきいから、そんなのちっちゃいよなって、そういうふうに思えるなと思って。
なので、うまくいかなくても、その人たちの今までここにつながるまでに、どんな人生を歩んできたかなとか、どんな苦労があったかなって。そこに思いを寄せられることも、僕らが当事者主体の組織である特徴かなと思いますね。
(VTR)
成澤:おはようございます。
ディレクター:おはようございます。お願いします。
成澤:どうぞ。
ディレクター:お邪魔します。失礼します。
(成澤さん自宅)
成澤さんは、3年前に結婚した妻の智恵子(ちえこ)さんと2人暮らし。
7年前に文字が読めなくなり、若干、光を感じられる程度。
今も、病気は進行を続けています。
智恵子さんは、ちょっとしたいたずらをして、成澤さんの病気の進行を気にかけています。
智恵子
妻:気づかなかったのが、今日初めてですみたいな瞬間だったら嫌ですね。
(智恵子さん、お風呂の明かりを消す)
成澤:(暗くなったの)わかりますよ~。
妻:まだ大丈夫みたい(笑)
ディレクター:まだ大丈夫ですっていうのは、つまり?
妻:まだ光を感じてますということ。
(成澤さんインタビュー)
成澤:毎朝、起きた瞬間、最悪だなと思いますね。夢で目が見えるんですよ、夢で。なので毎朝失明する感じです。
今日見えるんじゃねえ? 今日見えるんじゃねえ? と思いながら毎朝起きますけど、やっぱり見えねえ、と。
(空に上る打ち上げ花火)
8月、毎年行われる花火大会。
成澤:全然見えないですもん、全然。
花火は、成澤さんの病気が見つかるきっかけとなったものでした。
成澤:3歳の時に、花火の燃えかすをバケツに入れてごらんって母親に言われて。でも、バケツの中に入れられなくて。
そのときに、光が見えないんだなって両親は気づいて。それで、僕の病気分かったんです。
成澤幼少
(幼少~学生時代の写真)
成澤さんは、一度も盲学校に通いませんでした。
障害があるため、運動は苦手でした。
そんな成澤さんが、必死に取り組んだのが勉強。
成績は、トップクラスでした。
(成澤さんインタビュー)
成澤:とにかく偏差値が、とにかく学校の成績がっていうのを一番大事にしてましたね。
勉強ができる成澤君、優等生の成澤君と思ってもらったら、人は僕を頼ってくれたり、僕につながってくれるかなって。
だから、ただの成澤君には価値がないっていうふうに思っていた。
親元を離れ、大学に進学。
しかし、視力が更に低下し、授業にもついていけなくなります。
初めての挫折。
2年間、アパートにひきこもりました。
(スタジオ)
AI:ほんとに夫婦のやりとりが最高すぎ(笑)
成澤
風間:いやあ、たまんなかったですねぇ(笑)
AI:たまらないどころか、もう(笑)
成澤:テーマを変えましょう(笑)
AI:いや、最高じゃないですか(笑)
風間:返し方も “わかりますよー” って(笑)
AI:“わかりますよー” って(明かりのスイッチを)カチ。
風間:あれでいつか、明かり消したときに反応がなかったときの奥さまの気持ちを考えると、全部が全部面白いわけではないんですけど。
でも、この2人だったら、それも一つのイベントにしてくれるのかなって思えて。それも光だなと思いますね。
成澤:そうですね。
ちょうど出会った7~8年ぐらい前に、彼女と付き合うか付き合わないかぐらいの頃に、光や字が見えなくなってしまったのですが、そのときも何も気にせず一緒にいてくれたんで。
きっと次のそういう課題にも、一緒に向き合っていけるんじゃないかなと思いますね。
AI:素敵。
風間:奥さまに出会ったりとか、そういう未来の前では勉強をたくさんして、そして、挫折を経験したということなんですけれども。
成澤:“盲学校へ行かなくて、普通校に行けたからよかったね” って、周りの人は言ってくれるんです。
でも、部活もゲームも、マンガもできなかったので、クラスの人と友情とかつながりもできなくて、とにかく勉強だけして自分の価値を高めていこうと。偏差値がよければ周りの人が頼ってくれるしって。
そんな中、大学2年生のころに、唯一の勉強ももうダメで。ある必修科目を落としてしまって “不可” という通信簿みたいのが届いて。自分の人生に不可がついたなと、唯一の自分の武器だった勉強すら一人でできなくなったって。
どうしよう、どうしようと思ったら、明日行こう、明日行こうと思ったら、2年間学校に行けなかった。引きこもり状態になってしまいましたね。
もう、頼りがなくなったっていう感じですね、完全に。どうしていいか。それと、その引きこもってるのがちょっと独特で、引きこもってることを誰にも言わなかったんですよ。友達にも恋人にも家族にも。2年間ずーっと嘘ついてたんですよ。
風間:2年間ですか?
成澤:2年間です。
なので、九州から母親が年に1~2回来ると、“学校行ってくるね” って言って、近くのファミレスにこもって隠れてて、“学校終わったよ” って帰ってきたりとか。
障害を持って目が見えなくて、そんな自分が留年する。引きこもってるって。そんなのしたら、捨てられると思ったんですよ。
目が見えなくて勉強してる、目が見えなくて一生懸命まじめ、それでプラマイゼロぐらいって思ってたので、自分自身がどうしたらいいかわからなくて。
風間:そんな2年間の日々に、終止符を打つために、両親にあるメールを送ったと聞いてるんですけれども。
そのメールを、お父さまがとっておいてくれていて、一部をちょっと今から読ませていただきたいと思うんですけれども。
(風間さん朗読)
成澤
風間:“ごめん。嘘をつき続けてしまった。
留年した。学校に行けなかった。自分が弱かった。一日でも早く打ち明けたかったけど、できなかった。
親父とおふくろがうれしそうに卒業式に来ると言っていたとき、ほんとにつらかった。ほんとにごめん。”
成澤:もう、どうにもできないって。いつも、明日言おう、明日言おうと思ったんですよ。飲んだついでに言おうかなとか、手紙で言おうかなとか、いろいろ思ったんですけど、どれもできなかった。それで、もうあとには戻れないっていうので、メールを送りましたね。一生忘れないですね。
風間:メールを受け取ったときのお気持ちを、ご両親に伺っております。こちらの VTR をどうぞ。
(VTR)
両親
父:俊輔の父親です。
母:俊輔の母の博子です。
辛かったかなーって。誰にも言えなかったってことが、私辛かったんじゃないかなって。
父:表面的には、我々と連絡とったり、お正月に帰ってきて話すときも、大学生活を継続しているような話を合わせてするものだから、全く疑いもしなかった。
それだけ隠し通すのも辛かったと思いますよ、事実も合わせて。
母:それがショックでした、辛いだろうと思って。もっと早くに気づいてあげれたら、1人で全部抱え込んでたんで。
両親
(ご両親は息子からのメールを今も保存している)
父:人間、強さじゃなくて、やっぱり弱いこともあるし、へたりこむこともあるだろうし、それが普通の人間じゃないかと思う。あまりにも、一見強すぎるというか、順風満帆に思えた俊輔が、ここでいろんなことがあって一回リセットしたということ。
これは、俊輔にとっても非常にいい意味での経験だったんじゃないかと。
どんな自分でもみんなは受けとめてくれた
(スタジオ)
風間:うーん。
AI:いやー素敵なご両親で(笑) ご両親の話しを聞いて笑ってるのがね、もうなんか。
成澤
成澤:父から、“俊輔もスーパーマンじゃなかったんだな“ ってメールがあって。そのときに僕がどうのこうのじゃなくて、僕自身を親父は見てくれているんだなと思って、少し楽になりましたね。
今までみたいにプライド高くカッコつけてじゃなくて、人に2年間へたくそな嘘ついても、周りの人は誰も僕のことを責めなかったですし、どんな自分でもみんなは受け止めてくれてるなって。受け止めてくれないって思ってたのは、僕の勝手な勘違いだったなと思って。
2年間、いや、約 20 数年間の逃げてきたものだったり横に置いてたものが、一気に押し寄せてきたみたいな。“いま変わるときだよ” って、言ってくれた気がしましたね。
AI:それがあったから、やっぱり今の成澤さんになってると思うし、人生ってずーっといい調子でいく人っていないのかなとか。でも、ずーっと悪い調子でいく人もいないし。
今明るくしゃべってくれてますけど、やっぱりいろんなことがあって、そこを通ってきたあなたの言葉が届くんじゃないかなって思いますね。
風間:人生最大の挫折があったわけなんですけど、そこから得た経験って、どんなものですか。
成澤:人を頼るってことかなあと思いますね。
頼る相手すら周りに今までいなかったですけど、今頼る相手が周りにいっぱいいますし逆に頼ってくれる人がいっぱいいるので、もっともっと自分にはできることあるんじゃないかなって。
誰も僕を必要としてくれなかったので、その頃を取り返すかのように、もっといろんなことできるんじゃないかなって。自分のモチベーションにもつながってくるかなと思いますね。
風間:今まで、やってきた自分の人生というのを振り返ってみると、どんなことを思いますか?
成澤:実は、心の中で思ってるんです。次、いつ嘘つくかなって、また逃げちゃうんじゃないかなって。だって、2年間、あんな嘘ついたんだからと思って。
今、やっと素直に生きれるようになったので嘘をつけないように、厳しい妻もいますし、最後の砦だと思って頼ってくれる人もいます。
この 30代前半で、きっと、この生き方をこれからもしていくなっていう、その仕事や人生に出会えたっていうのは、うれしいことだと思っていますし、なかなか、そんな人っていないかなと思っています。
これからどんなことをしていくかというのも、ちょっと楽しみですけどね。
AI:いつかは、もしかしたら完全に失明するときが来るかもしれないという、そういう不安とかはありますか?
成澤:そうですね、間違いなく来ると思いますね。
たぶん、それは 30代中に来るかなと思いますけど、そうなったときに誰かの光になればいいなと思っていますし、そんなときでも、今でもよくほめられる笑顔を忘れられないように、いきたいなと思います。
(VTR)
東京にやってきた両親と、久しぶりの食事。
成澤さんは、この8月、NPO の理事から理事長となり、名実ともに、全責任を負う立場となりました。
父の寛(ゆたか)さんは、理事長就任に反対していました。
父と成澤
父:その責任の大きさですよね。
俊輔一人がつぶれるとか、俊輔一人がバンザイして済むことならいいんだけども。(もし)今の NPO 法人 FDA が立ち行かなくなると、一生懸命期待して前に進もうという人たちが、本人、ご家族、ご両親を含めて、その思いを考えると、そうそう簡単なことじゃないなと。そういうことで理事長はどうかなと(思ってました)。
成澤:責任を負いたいっていう欲求はあると思います。誰も責任を取ってくれなかったので、僕の人生に。近付いてきて何かアクションしてくれる人が、あまりいなかったので。だから、近付いて責任を取って、そういうふうに生きたいなっていうのはありますよ。
でも、言われますけどね、現場から。責任取るって何を取ってくれるんですかって言われますけど(笑) でも、それでも、責任取る生き方をしたいなとは思いますね。
NPO 利用者と 新たな実習先企業へ。
障害があっても様々な働き方ができる。
吉田と成澤
成澤さんは、これからも挑戦し続ける。
成澤:笑いすぎでしょ(笑)
(おわり)
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